diary

「民藝」展へ

世田谷美術館で開催中の「民藝」展に行ってきた。

とてもわくわくしたので、興奮冷めやらぬうちに書こうと思う。

 

 

美術館に行くときは、いつもどこか気を張ってしまう。

知らないことをたくさん知りたいとか、この機会を逃すと次いつ見られるかわからないからちゃんと見ようとか、いろいろ雑念が芽生える。

 

加えて、画家なら画家の、彫刻家なら彫刻家の、エネルギーのようなものがわっとのしかかる。

それは命を削るような緊張感を伴うものかもしれないし、人生の一場面かもしれないし、主張や欲や感情かもしれない。とにかくいろいろな方向に放たれているけれど、受ける側にもそれなりにエネルギーを要求される。

 

今回の「民藝」の展示は、私にとってそういった気負いがなく、行く前から、見終えた後の買い物までずっとわくわくしていた。

あくまで暮らしの中にあるものたち。探す喜びや買う喜び、愛でる喜び、持つ喜び、使う喜び、残す喜び、受け継ぐ喜びなど、美術品とはまた違う親しみやすさやあたたかみがあるからだ。

 

また2021年の東京国立近代美術館の「民藝の100年」展と比べると、より「もの」に焦点を当てていると思う。

 

昔の人の丁寧な手仕事にはもちろん頭が上がらないけれど、一方で、自分が使うならこうしたほうが便利だなとか、ここがこんな形だったら可愛いんじゃないかとか、そんな作り手の純粋な好奇心と実験が見えるような気がして、その対話がまた楽しい。

 

 

私も手芸をするけれど、これらを見ていると、友達や家族ととりとめもないおしゃべりをしながら、夜中に道具を動かす手が止まらなくなったりしながら作り出したようなものも、もしかしたらあるのではと想像してしまう。

 

また、産地別の陶芸作品のコーナーでは、はっとすることがあった。

私の出身の九州で作られた器たちを見た時、なんだかとても慣れ親しんだ色合いや質感だと思った。

おそらく実家や祖母の家や飲食店で使われていたたくさんのものの総合的なイメージだと思うのだけど、デジャヴのような感覚を味わった。

昔の私はそれらをなんとも思っておらず、むしろ地味だとすら思っていたかもしれない。昔の自分を知っている人との再会したようなこそばゆさがあった。

 

そしてやはり、民藝品には買いものの楽しみがある。

今回の展示の中にも、私が毎年自宅に飾っている、富山県の桂樹舎さんの手漉き和紙の鯉のぼりがあって嬉しくなった。展示品を見ては、願わくばあれも欲しい、これも欲しいと考え、部屋を再現した展示では、ここに住みたい、なんて考えずにはいられない、そんな楽しい展示だった。

 

ミュージアムショップも抜かりなくチェックし、「民芸店ましこ 神谷製陶所」のお茶碗をお客さん用に4つ買った。

 

会期は6/30までなので、まだの方はぜひ。